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消えゆくふるさと~最後の7つの物語~

原発事故10年目になろうとする今のふくしまは終わっていない。消えゆく津島(浪江町)を後世に残す為に映像を残す活動を知った。ふくしまの復興を語る前に、この現実を知らねばならない。

津島は阿武隈山系のど真ん中。原発事故発生後の三日後の放射線量は毎時280μSv(津島・赤木地区)を記録していた。当時浪江町町民は同じ町内の津島に一時避難していた。高線量である事を国、県から知らされないままにそこに多くの住民は1週間以上も滞在させられていた。

30年前までは二本松から津島(浪江町)までの定期バスが1日数本運行していた。そんな津島は高レベルの放射能で汚染されて帰還困難地域となってふるさとを捨てざるを得なくなった。他人事とは思えない。この近くにはダッシュ村もあった。

詳細は以下をご覧ください。
https://www.furusato-tsushima.com

https://www.furusato-tsushima.com/shop


この企画は素晴らしいもので、この動画(DVD)を是非、官邸、経産大臣、復興大臣、規制庁、経産省役人、福島県知事らに見て欲しい。
又、全国の主な図書館、全国紙等のメデイア、原子力災害伝承館等でも公開して欲しい。

http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW20171207071730001.html

http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-315.html

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201909/20190930_63026.html

https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/detail/311shogen20200509_02.html

http://jcpre.com/?p=10367


以下は民の声から一部転載
原発事故で帰還困難区域に指定された福島県浪江町津島地区の住民たちが国や東電に原状回復と完全賠償を求める「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の第17回口頭弁論が15日、福島地裁郡山支部303号法廷(佐々木健二裁判長)で終日、行われた。三瓶春江さん(59)、早弓さん(28)母娘に対する本人尋問では、大粒の涙を流しながら「津島に帰して」、「津島出身と言えるようにして欲しい」と訴えた。午後には、立教大学教授の関礼子さん(環境社会学)が専門家証人として法廷に立ち、「『土地に根ざして生きる権利』が原発事故で根こそぎ奪われた」などと述べた。次回口頭弁論期日は5月23日13時15分から。


【「あの頃の津島に帰してください」】
そこには、当たり前の日常があった。「うちに上がってお茶飲んでけ」、「まんま食ってったらいいべ」。それが挨拶だった。振る舞い、振る舞われながら皆で生きてきた。それが津島だった。冷蔵庫が空だって、酒のつまみに困ったって何の問題も無い。「自宅の周囲を歩けば、天ぷらに出来るものは何でもありました。家庭菜園の野菜もありましたしね」。清流の脇には瑞々しくて美味しいワサビがあった。しかし、それらを全て奪い取ったのが原発事故であり、放射性物質だった。

三瓶春江さんの主尋問では、賠償金を受け取っただけでは取り戻す事の出来ない津島の文化や日常、地域の人間関係などが次々と語られた。その一つが葬儀。11歳の時、一番上の兄が交通事故で突然、旅立った。家計を支えてくれていた兄の葬儀は津島の自宅で行われ、土葬された。それらを全て取り仕切ってくれたのが隣組の人々だった。

「棺も全て手作りでした。リヤカーに乗せ、土葬先まで列をなして運びました。50人以上はいたと思います。お互いに助け合って生きていく『結い』です。葬儀業者には頼みません。これが津島のやり方でした」

昨年、夫の父親が亡くなった。「津島に帰りたい、帰りたい」と春江さんの手を握りながら逝った義父の葬儀はしかし、津島流では出来なかった。原発事故で避難先はバラバラ。誰がどこに避難しているかも分からず、連絡の取りようが無かった。東京や横浜からも参列してくれる人がいたが、「今まで通り津島で葬式が出来ていれば、皆さんが会いに来てくれたと思う。『生きているうちに会いに来たかった』と言ってくれた方がたくさんいました。遠く避難先から香典を送ってくださった方もいました」と涙ながらに悔しさを口にした。義父の墓を津島に建てるか避難先に設けるか。まだ決めかねているという。

「いくら義父の希望であっても、津島ではなかなか墓参も難しい。避難先では本人の意思に反してしまう。まだ決められないのです」
何度も何度も大粒の涙を流した春江さん。孫への想いを口にした時は、涙声がさらに大きくなった。
「孫は中学生と小学6年生になりました。今、私たちは津島から避難して来たという事を隠し通して生活しています。いつか孫たちが避難者であるという事で差別を受けるのではないかと危機感を抱いています。いつか特別な目で見られるんじゃないかという危機感です」そして、3人の裁判官に向かってこう訴えた。

「今の生活に満足しているわけではありません。元の幸せに戻して欲しいです。現地検証で津島に入ってくださった事には感謝の気持ちでいっぱいです。私たちの想いは伝わったと信じています。(原発事故前の)津島に帰して欲しいです。お願いします」静まり返った法廷に嗚咽が響いた。これが原発事故被害の現実だ。

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