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呆れる宮城県知事発言

宮城県の村井知事は女川原発の再稼働を公式に容認した。しかし、その理由が呆れる。「原発事故と交通事故・食中毒を同列視」したのだ。
しかしながら原発事故と交通事故はまった異質なもので、同列視できるものではない。今も苦しんでしる 原発事故被害者や福島県民を侮辱し愚弄する発言であり、全国で起こされている原発被害者の訴訟裁判で国や東電を断罪する判決に向き合おうとしない、正に無知・無能・無責任、そして無恥・反知性の極みである。
 
村井知事の無知、無能、無責任そして無恥さはアベ・スガに匹敵する。交通事故のほとんどが自己責任(相手の個人責任も含めて)であり、自宅や故郷を失う事はない。しかも、当事者だけの被害に留まるし、自らの責任である程度は防げるもの。
 
しかし、原発事故は個人で防ぐ事は出来ない。事業者、国、自治体、原子力ムラ全体の 責任だ。そこに住む住民は個人の力で防ぐことは不可能だし、一度事故が起きれば数十万人、数百万人、数千万人の住民・市民・国民が被害者となる。自宅を失い、故郷を失い、コミュニテイを失い、人生の過去も現在も未来も失う事になる。交通事故や食中毒の被害は大方(被害の大きさにもよるが)は一時的なもので、被害の 規模も一般的には数人規模と小さい。
 
原発の存在こそが人権侵害に当たる。すでに原発は経済的にも再エネにも劣り、立ち行かなくなっている。いずれ破綻する事は明か・・・・・まさにこの判断は一時的な利権の上の判断であり、世界の趨勢からはかけ離れた判断。日本を破綻に導く悪魔の判断であり、犯罪的行為と言わざるを得ない
 
 以下はある宮城県民のフェースブックの記事を転載。
11月11日の記者会見で村井知事が行った「原発事故と交通事故・食中毒を同列視」発言。会見場にいた記者たちも驚いて、各社一斉にこの発言を報道した(仙台放送の映像と朝日新聞の記事を添付)。
 
どれも一部を編集して伝えているが、最も忠実にテープ起こししたと思われる「民の声新聞」の記事から引用させていただくと、村井知事は正確にはこう言ったのである。
 
「今まではですね、当然、私も一人の政治家として女川原発、原子力発電についてどう考えているか自分の考えはございますが、それを皆さんの前でお話する事で県議会の判断や市町村長さん方の判断、あるいは石巻市長、女川町長の判断に曇りが出ては駄目だと思って、あえて何も申し上げませんでした。しかし今日、このような形で結論が出ましたので私の考え方を申し上げたいと思います。私は再稼働は必要だと考えております。
事故があった場合のリスク、危機管理は非常に重要な事だと思います。原発がある以上、事故が起こる可能性は私はあると思います。しかし、事故があったから駄目だという事であれば、全ての乗り物も全ての食べ物もですね、それによって
事故が起こった過去経験があるでしょうから、それを否定する事になってしまう。事故を教訓として、さらに高みを目指して発展させて行く、技術革新をして行く。このようにして人類は発展してまいりました。そういう事を考えますと、私は、福島原発の事故を教訓としてさらに高みを目指して行ける、高みを目指して行かなければならないと考えております」
 
読んでる隙から怒りと憤りが沸き起こる。
 
村井知事は福島原発事故から何も学んでいないのか。原発事故により避難した16万人超の(現在も約4万人が故郷に帰れないでいる)福島県民の前で同じことが言えるのか。故郷を失った人々の苦しみ悲しみへの想像力の欠片もないのか。
 
村井知事は、市民団体が提出した「見解」文書の次のくだりを読んでいない。必ず知事に手渡して、読むように伝えてくれと言ったのに。「原発には異質の危険があり、いったん事故を起こせばその被害は巨大で、影響が長期にわたって残り、暮らしと生業の回復は困難で、被害の全体を補償する道は用意されていない。」
 
しかも、村井知事は(今まであえて述べてこなかった)原発に対する自分の考え方を今日初めて述べると前置きした。うっかり口が滑ったのではなく、「今日は自分の考えを言うぞ」と準備した発言だった。宮城県民として、事態は深刻である。
 
隣県福島の人々の苦難を目の当たりにした県民として、自分たちも皆等しく被曝し県土を汚染された(現在もなお放射能汚染廃棄物問題は解決していない)県民として、黙っておれるはずがない。
 
連絡先は下記のとおりです。
秘書課(総務班)  :022-211-2212
原子力安全対策課:022-211-2607
 メールアドレス teian@pref.miyagi.lg.jp

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