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帰還困難地域に入る

2日間に渡って、浪江町の請戸小学校の震災遺構、請戸漁港、復興記念公園(工事中)、原子力災害伝承館、東電廃炉資料館、Jビレッジ、リプルンふくしま、中間貯蔵工事情報センター、ふたばいんふぉ、夜ノ森、富岡アーカイブ・ミュージアムと多くの施設・遺構を巡ってきた。

二本松から浪江に行く途中はいまだに線量が高い浪江町津島地区を通る。事故当時は 100~170μSv/hもあった地域。浪江町民の大半は避難指示によって北西部に避難し、一時的に留まった地域。プルームの流れを住民に伝達せず、住民に無用の被ばくをさせてしまった政府と福島県の責任は重い。

帰還困難地域で誰も住んでいない。持参した線量計はアラームが鳴りっぱなし・・・しかしながら住民が避難している土地には多くに作業員や作業車が突如として多くなった。二本松市側の国道はほとんど車が走っていないが、津島からは突如として多くの車が猛―スピードで走っている。不思議な光景であった。
大熊町や双葉町の国道6号線沿いのガスリンスタンドや隣のラーメン店も事故当時のまま。大手スーパーのガラス窓は壊れたまま放置されている。浪江・津島地区の誰も住んでいない住居。富岡町夜ノ森の住宅街の道路はようやく通行はできるようなったものの、住宅にはバリケードがあり中に入れない。こんな理不尽で悲しい事があろうか?

国道6号線を浪江町から双葉町や大熊町の東京電力第一原発に近ずくと、突如として線量計のアラームが再び鳴り出す。国道沿いに設置された線量計を見ると、1.9μSv/hの値を示していた。線量が高いのは国道6号線の距離にして13Kmぐらいだろうか?富岡町や楢葉町に入ると、0.11μSv/h程度と急激に低くなった。

大熊町から国道288号線で二本松に戻ってきたが、田村市都路までの途中の線量値は0.16μSv/h程度。

原発事故後10年経過しても、いまだに線量が高い地域が存在し、今なお自宅に帰れない住民や、飯館の住民が甲状腺がんで亡くなったという情報に触れ、原発事故の悲惨さ、東電と国の無責任さと怒りを強く感じた旅でもあった。

『原発震災遺構を巡る旅』は以下をご覧ください。
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2021-10-27




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