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弘前『ねぷた』

青森県内で開催されているねぶたやねぷた祭りの起源とも言われている津軽藩・弘前のねぷた祭りが8月1日から7日まで開催されている。

6月の北東北+三陸の旅で寄った、弘前市の『ねぷた村』、青森市の『ねぶたの家、ワ・ラッセ』、五所川原市の『立佞武多の館』で知ったねぶたやねぷたの歴史・・・

掛け声は青森の『ラッセラー・ラッセラー』や五所川原の『ヤッテマーレ・ヤッテマーレ』とは異なり、津軽藩主が見ているからと『ヤーヤドー』と紳士的。・・・・
 
以下はウィキペデイアから一部転載。
大勢の市民が「ヤーヤドー」の掛け声とともに、武者絵が描かれた山車を引いて市内を練り歩く。弘前ねぷたには扇ねぷた(扇型)と組ねぷた(人形型)があり、総数約80台の県内最多のねぷたが運行される。
掛け声は青森とは異なり『ヤーヤドー』と紳士的・・・・

起源・沿革
ねぷたまつりの由来はさまざまある。

(伝説)平安時代の初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、蝦夷をおびき出すために大きな人形を作った。
(伝承)文禄2年(1593年)7月に藩祖津軽為信が京都滞在中に盂蘭盆会で二間四方の大燈籠を出した。
(定説)江戸時代の元禄期後半からの「七夕祭りの松明流し・精霊流し・眠り流し」や「盆灯籠」などが融合変化し、現在の華麗なねぷたに発展してきた。


語源は、「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねむた」→「ねぷた(ねぶた)」と転訛(表記は佞武多、禰ふたと様々ある)。「眠り流し」は日本各地で行われている。農作業の激しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払い、厄災・邪悪を水に流して村の外に送り出す行事のひとつ。

明治から昭和初期にかけて、主に当時の弘前市内に複数あった、町道場に通う士族や平民の子弟らを中心とした若者達が作り練り歩いたねぷたでは、他の道場または町会のねぷたと出くわすと、相手のねぷたに石を投げつけたり、竹槍や木刀等(時には日本刀)で乱闘し、しばしば死傷者を出したため、何度も「ねぷた禁止令」[1] が出されたことがある。これを「けんかねぷた」という[注 1]。

【青森『ねぶた』】は以下ご覧ください。
【五所川原の『立佞武多』】は以下ご覧ください。
 
以下は『ねぷた村』で撮った写真。津軽三味線も聴けた。


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