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田子倉ダムの紅葉と歴史

只見線沿線の紅葉を見、田子倉ダムまで足を延ばした。

田子倉ダムは1961年11月に総出力38万Kwで、当時は日本一の水力発電所。その後2004年から8年かけて更新工事が実施され、現在は40万kWで日本では二番目の出力を誇る。原発一基の半分の電力を供給する。高さ145m、長さ462mで5億m³の水を貯める。

しかしながら、只見川の電源開発は湖底に沈んだ田子倉集落の消滅抜きには語る事はできない。1959年に戦後復興の為、首都圏への電力供給を目的として、田子倉ダムの建設によって、ダムの底に沈んだ50戸、290人の人々は故郷を去らざるをえなくなった。
まさに原発事故によって、ふるさとを失った福島の住民と重なる。

福島県民の犠牲の上に、首都圏の恵まれた生活が享受できている事をどれぐらいの首都圏の人々が思い起こしているだろうか?

紅葉を楽しむ一方、田子倉ダムは原発事故と同じ構図である悲劇があった事を教えてくれた。

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