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縄文遺跡と地球温暖化

福島県安達太良山魔にも小さな縄文遺跡(原瀬上原遺跡)があり、傍に原瀬川が流れている。現在は上流にダムができいるので、水量は少なく魚も棲んでいない(か少ない)ように見える。(当時はサケが遡上していたかも??)

ここでは『複式炉』を持つ住居跡が見つかっている。以下に二本松市教育委員会から入手した資料に以下の記述がある。(一部抜粋)

「『複式炉』※とは土器と石組みで作られた住居内の炉の事で、現在では岩手県から岐阜県まで分布が確認されている。宮城・山形県南部と福島県で最も多く発見されている。石組みに溜まった灰をトチなどのあく抜きに使ったともいわれる。

大集落を維持するには安定した水と食料の確保が不可欠で、その為には季節に左右されない食料、すなわち保存可能な植物資源があったと思われる。
安達太良山魔には春は山菜、秋にはきのこやトチなどの山の幸が豊富で、複式炉の灰の提供で
どんぐりなんど堅果類やワラビなどの山菜類が長期に保存ができる。
つまり縄文人はアク抜きの技術を得る事で保存できる植物資源を確保するのに成功したのである。」

※複式炉とは前庭部から薪を入れ、石組部で火を焚き、奥の土器にはオキを入れ火種の保存やオキを利用した調理を行ったと考えられる。石組部の灰はあく抜きに利用されたと言われる。

「長野県山岳地方の『尖石』は狩猟、千葉県『姥山貝塚』は漁労が主で、食料がたやすく多く得られた地に栄えた遺跡」。「水と食料、特にマス・サケが豊富に取れた地域と縄文遺跡とは合致する。」と記述されている。

 内陸部では川魚や狩猟、そしてどんぐりやクリ、山菜等を食べていたのでしょう。青森県にある三内丸山遺跡(ここは海が傍まで入り込んでいた)では食べ物として海魚、貝、クリ等を食べ住居の柱としてもクリの木が重宝されていた。

 地球温暖化が社会問題になっているが、縄文時代は現在よりも地球の平均気温は2~3℃高かった事によって、温暖で積雪も少なかった(降らなかったかも?)ものと思われる。

 現在の地球温暖化とCO2の上昇とは(たまたま?)一致している。地球温暖化がCO2だけのせいではなく、都市化の影響(コンクリート化)や太陽の活動も影響しているのではないか。

地球全体が縄文時代の気温に戻っているという見方もあるが、ただ急激な温暖化である事は事実・・・

海面上昇によってインドネシアのジャカルタは首都移転を決定したようだ。東京も江戸川区や葛飾区あたりは放置しておけば沈没してしまう。(縄文時代は海面下だった土地)
 

青森県の三内丸山遺跡に関する記事は以下をご覧ください。
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2022-06-15-1

以下は地球温暖化がCO2ではないという6つの理由について記述した記事。
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2021-12-19

日本人のルーツに関する情報は某大学名誉教授のFBから借用したもの。ソースは米科学誌『サイエンス』(2021年9月17日)。

日本人の遺伝子構成です。米科学誌『サイエンス』(2021年9月17日)によります。後漢が滅んで魏・呉・蜀となりましたが、魏が蜀を滅ぼし、禅譲して西晋が興り、西晋が呉を滅ぼして中国は再統一され、西晋は匈奴の侵攻で滅びました。結果、中国で政治難民(中国にいたら殺される人びと)が大量に発生し、それまで縄文人と弥生人しかいなかった日本に漢民族が渡来人(難民)としてどっと流入しました。古墳時代でした。現代の日本人は「10人中 7人は漢民族」です。

 

 


 

 

 

 


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