紅葉の十和田湖と奥入瀬渓流
何故、北東北には縄文遺跡が多いのか?縄文人はどこから来たのか?縄文中期には地球温暖化による縄文海進によって内陸まで海が迫っており、内陸の遺跡に貝塚が多い。縄文時代の文化の中心は北東北だった。
午後には十和田湖と奥入瀬渓流へ・・・弘前市側から十和田湖の休屋(高村光太郎の乙女の像のある場所)に行く道路の一部が通行止めになっている為に迂回し、十和田湖を一周。おかげで今までは見た事のない展望台から十和田湖を眺める事ができた。
世界遺産・白神山地(十二湖)
日本100名山・紅葉と白とピンクの鳥海山・・
昨年6月には7泊8日の北東北+三陸海岸の震災慰霊の旅を実施した。今回は第2弾として紅葉の時期に5泊6日で北東北を巡る旅を実施。
鶴岡→秋田→男鹿半島→白神山地(十二湖)→津軽→十和田湖→八戸→盛岡→平泉をめぐる。日本100名城の3ヶ所(久保田城:秋田市、根城:八戸市、盛岡城)続日本100名城の2ヶ所(鶴ヶ岡城:鶴岡市、秋田城)世界遺産3か所(白神山地と北東北の縄文遺跡群数か所、平泉)を巡ってきた。更に紅葉の鳥海山と十和田湖と奥入瀬渓流、男鹿半島、そして日本海に沈む夕日を堪能。
初日は鶴岡の歴史をたどる。そして鳥海山の5号目まで車で登った。見ごろな紅葉と前日に山頂付近に積もったの雪の白さのコントラストが絶妙。
そし日本海に面した道の駅からは日本海に沈む夕日に照らされて、山頂の白い雪と山肌がピンク色に染まる鳥海山が見事。海に目をやれば、まさに沈もうと真っ赤に燃える太陽・・・山と海の美しさを同時に味わえる、絶好のポイント。
ライトアップされた「いちょう並木」
ライトアップ初日なので、NHKはじめ多くのTV局が17:00のライトアップの取材に来ていた。いちょう並木の真ん中に三日月と吾妻の山々が見え、絵になる。
取材のTVカメラマンに教えてたら、感謝された。
TVのニュース番組で、いちょう並木の上に出た三日月も映し出していた。
汚染水の海洋放出に合理性はなく、日本が失うものは甚大!
IAEAは処理水放出を推奨も支持もしていない事を強調する」とし、お墨付きは出していない。中国、ロシア、韓国以外にもドイツの環境大臣や太平洋地域諸国も反対し、国連推奨のSDGsの「海の豊かさを守ろう」にも違反している。
問題の本質は汚染水対策の失敗により、汚染水が増え続けている事。止水できれば海洋放出は必要ない。他の有効な施策がありながら、最も安い34億円の海洋放出を選択したが、その費用は430億円にも増えた。
更に処理水に伴う施策費用として、各省の総額は4,150億円も計上。全て血税であり、貧困対策にも回せる金だ。中国や香港、ロシアからの海産物輸入禁止で年間約1,500億円の損失。
政府やメディアは『処理水、中国の対応は非科学的』として中国を非難したり、デプリに直接触れた、半減期が1570万年のヨウ素129など62種の放射性核種を含む汚染水にもかかわらず、世界中の通常運転時の原発からのトリチウム排出量と比較したり、問題の本質を歪め、まさにフェイクのオンパレード。水俣のように将来健康被害が出ないとする保障はない。
880トンのデプリを仮に1日1キロ取り出したとして2500年かかる。「海洋放出は廃炉の為には避けて通れない」と言うが、デプリ取り出しの目途が立っていない状況で、今急いで海洋放出する合理性は見当たらない。
国際的信頼失墜含め、日本が失うものは経済的、政治的、社会的、人道的、国際的にもあまりにも甚大。国益と国民の健康が損なわれていく。今すぐ海洋放出を止めるべきだ。
西吾妻の紅葉
白布峠の展望台からは桧原湖と磐梯山の絶景を味わえるほか、天候次第では、北の飯豊連峰や朝日連峰も遠望できます。
紅葉の裏磐梯・五色沼と曲沢沼
但し、裏磐梯の最盛期の紅葉には1週間程度早かったようだ。自宅を出る時は快晴。しかし山一つ隔てた裏磐梯は雲が多く、磐梯山山頂付近は雲に隠れて残念・・
【五色沼】
キジと暮らす!?
昔から日本人とかかわりの深い鳥として、「桃太郎」をはじめいろいろな物語や、「焼野の雉(きぎす)、夜の鶴」などの子を思う親の愛情の深さを表わすタトエ話がありますが、現在でも草刈機に頭をとばされてしまうメスが出るほど巣の卵を大切にしています。
「朝キジが鳴けば雨、地震が近づけば大声で鳴く」といった予知能力まで与えられていると言われます。
日本100名城・二本松城
二本松城は標高345mの「白旗が峰」に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城である。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となった。
日本100名山・安達太良山
今日も快晴、秋晴れ。山頂付近の紅葉が見頃・・・
自宅の2Fからカメラのズームを覗くと、山肌の樹木の紅葉(赤、黄、緑)が、くっきりと見える。ロープウェーを使って登る必要はない。(計画していたが、登必要がない事に気づく(笑)・・・)
智恵子抄や万葉集にも詠まれ、多くの人々に親しまれている安達太良山。とにかく人気が高く、夏のシーズンは登山者で山頂が人で埋まるほど。しかしそれは安達太良山本峰周辺に限られる。これを外せば、まだまだ静かな山歩きが楽しめる。
北から、鬼面山(1,482m)、連峰最高峰の箕輪山(1,728m)、鉄山(1,709m)、安達太良山(1,700,)、和尚山(1,602m)と主脈を重ねる。
写真は全て自宅か自宅周辺から・・・
日本100名山、吾妻・一切経登山
栃木の会社の愛好会の団体、大阪から10時間かけて来たとう女性は来た甲斐があったと笑う・・但し、ほとんどが高齢者。見納めに来たという郡山からの高齢者。それでも20歳代の若い登山者も散見された・・
一切経山頂から見下ろすコバルトブルーの五色沼(魔女の瞳)と周辺の紅葉がマッチしきれい。しかし、魔女の瞳を眺めながら弁当を食べていると、吹き上げる風はさすがに寒い・・
一切経山は福島県と山形県の県境に連なる吾妻連峰の一座で、山頂のさらに奥に佇む火口湖・五色沼は、太陽光によって色が変化して見えることから「魔女の瞳」あるいは「吾妻の瞳」と称され、絶景ポイントとして人気です。
コース途中の酸ヶ平(すがだいら)や鎌沼では夏、チングルマ、コバイケイソウ、ワタスゲなど多くの高山植物が花を咲かせ、桶沼周辺などに見られるネモトシャクナゲは福島県花でもある希少種。自生地は国の天然記念物にも指定され、名実ともに花の宝庫といえるのが吾妻連峰なのです。
【一切経山】
小浜の紋付祭り
伝統を繋ぐのも大変な努力と労力、そして知恵が必要だ。
以下はHPから転載
日本100名城・仙台城
伊達政宗は米沢城(続日本100名城)に生まれ、18歳で家督を継ぐと、わずか5年で南奥羽の覇権を握るまでになった。
日本の名湯・銀山温泉
15世紀に銀鉱が発見され、江戸初期に大銀山として栄えた「延沢銀山」をその名の由来に、銀山の閉山後も湯治場として栄え続けた温泉。大正末期から昭和初期にかけて建てられた洋風木造多層の旅館が川の両側に立ち並ぶ。
大正ロマンの香り残すモダンな雰囲気を残す宿や、江戸時代の旅籠を思わせる、昔懐かしいたたづまい・・・
日本三景・松島
日本100名城・山形城
山形城は日本で5番目に大きく、東北一の面積を誇る。現在の市街地は三の丸にあたる。その大きさに圧倒された。今の霞が城公園は本丸と二の丸で、その回りは内堀で、三の丸の外側にも外堀がめぐらされいたようだ。
現在の芋煮会で全国的に有名になった、馬見ヶ崎川は、当時の川は市街地(山形駅)近くを流れていたのを今の位置に移したようだ。当時の土木工事のスキルにも圧倒された。
以下はウィキペディアから一部転載
山形城は、山形市霞城町にあった別名は霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。国の史跡に指定され、日本100名城に選定されている。
おおよその城郭構造の基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたもの。江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。現在は、武家屋敷群のあった三の丸が市街地化しているが、本丸、二の丸跡が霞城公園として残されている。
建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する。
山形城は、本丸(2.83ヘクタール)・二ノ丸(27.99ヘクタール)・三ノ丸(234.86ヘクタール)を三重の堀と土塁で囲まれた輪郭式の平城で、東北では最大です。外郭である三ノ丸は、現存する日本最大の天守がある姫路城の外郭(約233ヘクタール)や内曲輪(約23ヘクタール)よりもそれぞれ広くなっております。
石垣には馬見ヶ崎川で採掘された玉石(安山岩)を割った石材を用い、割り面を前面に利用しています。本丸は御殿のみで天守はありませんでしたが、二ノ丸には江戸時代前期まで三階櫓がありました。今も残る二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上氏改易後の元和8年(1622)に城主となった鳥居忠政やその後の保科正之により改修されたと伝えられています。
海洋放出止めれば電気代を下げられる
電気・ガス料金の高騰対策については、標準的な家庭平均で毎月1850円分の支援を10月分から12月分まで継続し、合計約5000億円分を支援します。
現在検討中の経済対策の中で、今後のエネルギー価格の動向を見極めながら、その後の支援策について、対応を考えていきます。 twitter.com/rockya1984/sta…
70歳までは取るに足らない
73歳になって、少し動植物の骨格や生まれと造りを知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕が上達し、90歳には奥義を究め、100歳には本当に神妙の域に達するであろうか。
100歳を超えれば、私が描く一点はひとつの命を得たかのように生きたものになるだろう。このような私の言葉が世迷い言などではないことを、長寿の神には、ご覧いただきたく願いたいものだ」