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紅葉の十和田湖と奥入瀬渓流

北東北の旅の4日目は世界文化遺産の北東北縄文遺跡群の一つ、津軽半島入口にあるつがる市・亀ヶ岡石器時代遺跡を見学。ここは遮光器土偶(国重要文化財)は発見された縄文遺跡。

何故、北東北には縄文遺跡が多いのか?縄文人はどこから来たのか?縄文中期には地球温暖化による縄文海進によって内陸まで海が迫っており、内陸の遺跡に貝塚が多い。縄文時代の文化の中心は北東北だった。

午後には十和田湖と奥入瀬渓流へ・・・弘前市側から十和田湖の休屋(高村光太郎の乙女の像のある場所)に行く道路の一部が通行止めになっている為に迂回し、十和田湖を一周。おかげで今までは見た事のない展望台から十和田湖を眺める事ができた。
 
十和田湖も、奥入瀬渓流も中国人の観光客が多いのに驚く。約半数は中国人と言った印象。白神山地(十二湖)や平泉にも中国人は多かった。中国の経済成長と円安が影響しているのだろう・・・


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世界遺産・白神山地(十二湖)

北東北の旅の3日目は世界遺産(自然の部)の白神山地(十二湖)。昨年6月の沼の青さと、木々の緑の美しさに感動し、紅葉の時期に再び訪れてみた。

秋田県・青森県はこの秋クマの出没が多い事もあり、山への深入りは避け、人の多い湖沼群周辺に限定した。

白神山地は青森県と秋田県の県境に広がる130000ヘクタールに及ぶ広大な山岳地帯。このうち原生的なブナ林で占められている、16971ヘクタール1993年に世界遺産(自然の部門)に登録された。


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日本100名山・紅葉と白とピンクの鳥海山・・

昨年6月には7泊8日の北東北+三陸海岸の震災慰霊の旅を実施した。今回は第2弾として紅葉の時期に5泊6日で北東北を巡る旅を実施。

鶴岡→秋田→男鹿半島→白神山地(十二湖)→津軽→十和田湖→八戸→盛岡→平泉をめぐる。日本100名城の3ヶ所(久保田城:秋田市、根城:八戸市、盛岡城)続日本100名城の2ヶ所(鶴ヶ岡城:鶴岡市、秋田城)世界遺産3か所(白神山地と北東北の縄文遺跡群数か所、平泉)を巡ってきた。更に紅葉の鳥海山と十和田湖と奥入瀬渓流、男鹿半島、そして日本海に沈む夕日を堪能。

初日は鶴岡の歴史をたどる。そして鳥海山の5号目まで車で登った。見ごろな紅葉と前日に山頂付近に積もったの雪の白さのコントラストが絶妙。

そし日本海に面した道の駅からは日本海に沈む夕日に照らされて、山頂の白い雪と山肌がピンク色に染まる鳥海山が見事。海に目をやれば、まさに沈もうと真っ赤に燃える太陽・・・山と海の美しさを同時に味わえる、絶好のポイント。

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ライトアップされた「いちょう並木」

福島市のあづま総合運動場にあるいちょう並木のライトアップ初日に遭遇した。520mにわたって、116本のいちょうの木が植えられている。まだ色づきは完全ではなく、今年は夏の暑さの為か、いちょうの葉っぱが小さく、迫力感、ボリューム感に欠ける。

ライトアップ初日なので、NHKはじめ多くのTV局が17:00のライトアップの取材に来ていた。いちょう並木の真ん中に三日月と吾妻の山々が見え、絵になる。

取材のTVカメラマンに教えてたら、感謝された。
TVのニュース番組で、いちょう並木の上に出た三日月も映し出していた。


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汚染水の海洋放出に合理性はなく、日本が失うものは甚大!

IAEAは処理水放出を推奨も支持もしていない事を強調する」とし、お墨付きは出していない。中国、ロシア、韓国以外にもドイツの環境大臣や太平洋地域諸国も反対し、国連推奨のSDGsの「海の豊かさを守ろう」にも違反している。

問題の本質は汚染水対策の失敗により、汚染水が増え続けている事。止水できれば海洋放出は必要ない。他の有効な施策がありながら、最も安い34億円の海洋放出を選択したが、その費用は430億円にも増えた。

更に処理水に伴う施策費用として、各省の総額は4,150億円も計上。全て血税であり、貧困対策にも回せる金だ。中国や香港、ロシアからの海産物輸入禁止で年間約1,500億円の損失。

政府やメディアは『処理水、中国の対応は非科学的』として中国を非難したり、デプリに直接触れた、半減期が1570万年のヨウ素129など62種の放射性核種を含む汚染水にもかかわらず、世界中の通常運転時の原発からのトリチウム排出量と比較したり、問題の本質を歪め、まさにフェイクのオンパレード。水俣のように将来健康被害が出ないとする保障はない。

880トンのデプリを仮に1日1キロ取り出したとして2500年かかる。「海洋放出は廃炉の為には避けて通れない」と言うが、デプリ取り出しの目途が立っていない状況で、今急いで海洋放出する合理性は見当たらない。

国際的信頼失墜含め、日本が失うものは経済的、政治的、社会的、人道的、国際的にもあまりにも甚大。
国益と国民の健康が損なわれていく。
今すぐ海洋放出を止めるべきだ。


 


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西吾妻の紅葉

裏磐梯から西吾妻スカイバレーを通って、白布温泉、米沢に抜けた。裏磐梯の紅葉は少々早かったが、西吾妻は紅葉真っ盛り・・・


以下はHPからの一部転載。
西吾妻スカイバレーは山形県側米沢市の名湯白布温泉から、福島県側北塩原村桧原湖までの全長17.8Kmに渡る山岳観光道路で、ヘアピンカーブの連続で白布峠の南側は東鉢山七曲りと称する芸術的なカーブが続き走行時には注意が必要ですが、目の前には見事な景色が続きます。

 白布峠の展望台からは桧原湖と磐梯山の絶景を味わえるほか、天候次第では、北の飯豊連峰や朝日連峰も遠望できます。

特に紅葉の時期はお勧めで、ナナカマドやヤマウルシなどの深紅とダケカンバの黄色、トドマツの緑のコントラストが鮮やかです。


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紅葉の裏磐梯・五色沼と曲沢沼

裏磐梯の五色沼と、沼に映える紅葉の絶景が見れると噂を耳にして曲沢沼に出かけて見た。五色沼入口の毘沙門沼に着いた時は7時台と早い為に、観光客はほとんどいない。散策路には誰一人歩いていない。

4km程度離れた反対側の散策路入口(柳沼側)に回ると、多くの観光客がすでに散策路を歩いていた。福岡県や奈良県、そして海外(フィリオピン等)からの観光客が・・・

但し、裏磐梯の最盛期の紅葉には1週間程度早かったようだ。自宅を出る時は快晴。しかし山一つ隔てた裏磐梯は雲が多く、磐梯山山頂付近は雲に隠れて残念・・
1888年の磐梯山の噴火によって川がせき止められ、多くの湖沼群ができた。五色沼湖沼群は、毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、竜沼、るり沼、青沼、柳沼で構成され、全長約4kmに渡る。

 

               【五色沼】

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【曲沢沼】
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【磐梯山】
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【檜原湖】

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キジと暮らす!?

自宅前の道路に朝6:40頃にキジ(オス)が現れ、しばらくの間「ケンケーン」と甲高い声を発しながら、エサをついばんでいた。その様子を写真に撮る事ができた。

羽の模様が『さくら模様』になっている事に驚く。個体特有なのか、繁殖期にのみこのような模様が出るのか定かではない・・・図鑑等に掲載されているキジ(オス)には、このようなきれいな『さくら模様』にはなっていない。

「朝キジが鳴けば雨、地震が近づけば大声で鳴く」との予知能力は本当か?本日の天気予報は終日晴。大声ではなく、ごく通常の鳴き声なので、地震の心配はなさそうだが???

キジに関するHPによると以下のような記載がある。
全長80cm(オス)、60cm(メス)。尾の長いことが特徴の、地上性の、ニワトリ大の鳥です。本州・四国・九州に分布しています。

オスは濃い緑色の体で、繁殖期になると、ハート型の赤い顔になり、「ケーンケーン」と鳴きながらメスを求めます。

昔から日本人とかかわりの深い鳥として、「桃太郎」をはじめいろいろな物語や、「焼野の雉(きぎす)、夜の鶴」などの子を思う親の愛情の深さを表わすタトエ話がありますが、現在でも草刈機に頭をとばされてしまうメスが出るほど巣の卵を大切にしています。

「朝キジが鳴けば雨、地震が近づけば大声で鳴く」といった予知能力まで与えられていると言われます。
日本の鳥、つまり国鳥に選ばれていながら、狩猟が許されているという、何とも不幸な鳥です。キジの中で、全身緑色のものは日本キジと呼ばれていますが、中国南部の亜種にも緑色化したものもいます。一般に鳥では、湿度の高い地方では色彩が濃色になり、黒っぽくなる例が知られています。


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日本100名城・二本松城

福島県内には日本100名城が会津若松城(鶴ヶ城)、白河小峰城、そして二本松城(霞が城)の3城ある。
その一つの二本松城は平山城で、別名霞ヶ城・白旗城と呼ばれる。2007年に国の史跡に指定された。「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されている。

二本松城は標高345mの「白旗が峰」に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城である。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となった。

現在は「霞ヶ城公園」として整備されており、石垣と再建された箕輪門がある。山上の本丸には天守台、石垣が近年になって再構築された。また、城の入り口には二本松藩7代藩主・丹羽高寛が一夜のうちに自然石に藩政改革と綱紀粛正の指針を刻ませた「戒石銘碑」がある。
三の丸では、毎年『菊人形展』が開催されている。今年は『徳川家康』の歴史の場面がテーマ。
 
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日本100名山・安達太良山

日本100名山の一つ、安達太良山は紅葉真っ真っ盛り・・・
今日も快晴、秋晴れ。山頂付近の紅葉が見頃・・・

自宅の2Fからカメラのズームを覗くと、山肌の樹木の紅葉(赤、黄、緑)が、くっきりと見える。ロープウェーを使って登る必要はない。(計画していたが、登必要がない事に気づく(笑)・・・)
吾妻連峰の一切経山と吾妻小富士も良く見える・・・
 
以下HPから一部転載
智恵子抄や万葉集にも詠まれ、多くの人々に親しまれている安達太良山。とにかく人気が高く、夏のシーズンは登山者で山頂が人で埋まるほど。しかしそれは安達太良山本峰周辺に限られる。これを外せば、まだまだ静かな山歩きが楽しめる。

北から、鬼面山(1,482m)、連峰最高峰の箕輪山(1,728m)、鉄山(1,709m)、安達太良山(1,700,)、和尚山(1,602m)と主脈を重ねる。


写真は全て自宅か自宅周辺から・・・


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【吾妻・一切経山】
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日本100名山、吾妻・一切経登山

秋晴れの日、日本100名山の一つ吾妻・一切経山(1948m)に久しぶりに登り、さわやかな汗をかいた。夏の登山は暑くて疲れるが、この時期の登山はバテが少ない。多くの登山客が登って行く。


栃木の会社の愛好会の団体、大阪から10時間かけて来たとう女性は来た甲斐があったと笑う・・但し、ほとんどが高齢者。見納めに来たという郡山からの高齢者。それでも20歳代の若い登山者も散見された・・

一切経山頂から見下ろすコバルトブルーの五色沼(魔女の瞳)と周辺の紅葉がマッチしきれい。しかし、魔女の瞳を眺めながら弁当を食べていると、吹き上げる風はさすがに寒い・・
 
以下HPから一部転載
一切経山は福島県と山形県の県境に連なる吾妻連峰の一座で、山頂のさらに奥に佇む火口湖・五色沼は、太陽光によって色が変化して見えることから「魔女の瞳」あるいは「吾妻の瞳」と称され、絶景ポイントとして人気です。

コース途中の酸ヶ平(すがだいら)や鎌沼では夏、チングルマ、コバイケイソウ、ワタスゲなど多くの高山植物が花を咲かせ、桶沼周辺などに見られるネモトシャクナゲは福島県花でもある希少種。自生地は国の天然記念物にも指定され、名実ともに花の宝庫といえるのが吾妻連峰なのです。

               【一切経山】
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【鎌沼】
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【魔女の瞳(五色沼)】
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【鎌沼】
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【福島盆地】
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【磐梯山】
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小浜の紋付祭り

コロナ禍で一時中断・あるいは縮小されていた小浜の紋付祭りが通常通り開催された。但し最終日(後祭り)は中止された。本祭りの午後(神輿が塩松神社に上がってしまっていた(残念!)に行ってみた。

年々人口減少、少子化で太鼓をたたく子供たちが少なくなってきたので、10年前ぐらいから女の子も太鼓や笛を吹いているように変化してきた。
伝統を繋ぐのも大変な努力と労力、そして知恵が必要だ。

以下はHPから転載


塩松神社は、天喜3年(1055年)源頼義が安倍頼時父子を追討のおり、家臣の伴次郎助兼が信仰していた宇都宮慈現明神(うつのみやじげんみょうじん)を勧請したものと言われています。


御神輿渡御(おみこしとぎょ)の始まりは江戸時代、塩松神社が二本松藩、丹羽公の支配下にあったとき天明の飢饉の村内の復興のために、村民が丹羽公にお金を献上して、御神輿渡御の許可を受け、その御神輿に供奉(ぐぶ)する形で太鼓台がそれについて回るようになったと伝えられています。そして、その形は200年以上たった今でも変わることなく受け継がれています。

正式名称は「塩松神社例大祭」ですが、本祭りに関係者全員が紋付羽織袴(もんつきはおりはかま)の正装をするところから「紋付祭り」と呼ばれています。



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日本100名城・仙台城

日本100名城の一つに指定されている、仙台城(青葉城)は中世の千代城を改修し、伊達政宗が2年余で築いた城。政宗は大規模な土木工事を行い、青葉山に石垣、土塁で防御した本丸を築いたが、天守は上げなかった。

伊達政宗は米沢城(続日本100名城)に生まれ、18歳で家督を継ぐと、わずか5年で南奥羽の覇権を握るまでになった。

豊臣秀吉の小田原攻めでは秀吉に従い、関ヶ原の闘いでは徳川方として戦った。その後仙台藩の初代藩主となり、それまで居住していた岩出山から領民を移住させた。治水工事や新田開発を進め、仙台藩62万石の礎を築いた。
 
政宗自身が遺言で墓所に定めた、伊達政宗が眠る霊屋「瑞鳳殿」が仙台城近くにある。政宗死後に殉死した家来たちも一緒に眠る。
 
伊達政宗は武芸だけでなく、和歌、漢詩、書、茶の湯、能、食べ物、海外の文化、桃山文化の建造物や装飾など、さまざまな事に興味を持ち、優れた才能を発揮した文化人でもあった。
 
仙台城に着くと、仙台市内の北側にかかった大きな二重の虹と伊達政宗像が迎えてくれた。


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【政宗が眠る瑞鳳殿】
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日本の名湯・銀山温泉

一度は行ってみたい温泉、銀山温泉に山形から宮城・松島に行く途中に寄ってみた。

15世紀に銀鉱が発見され、江戸初期に大銀山として栄えた「延沢銀山」をその名の由来に、銀山の閉山後も湯治場として栄え続けた温泉。大正末期から昭和初期にかけて建てられた洋風木造多層の旅館が川の両側に立ち並ぶ。


またテレビドラマ「おしん」の舞台になるなど、風情の漂う街並み・・
大正ロマンの香り残すモダンな雰囲気を残す宿や、江戸時代の旅籠を思わせる、昔懐かしいたたづまい・・・


海外からの宿泊客も多かった。
山間の深い谷間に並ぶり温泉街に、集中豪雨や大地震での山崩れや洪水の被害が出ないのだろうかと気になったりもした・・・



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日本三景・松島

日本100名城と戦国武将+縄文文化の歴史を巡る山形・宮城の旅の2日目。100名城の一つ多賀城跡訪問後、伊達政宗の痕跡を巡る為に松島へ・・
松島には伊達政宗が約5年の歳月をかけて再興した瑞巌寺がある。
五大堂やみちのく伊達政宗博物館もある。

4年ぶりの松島。修学旅行の児童達や外国人で混雑していた。
まずは高台にあるホテルの露天風呂につかりながら松島湾を見下ろす。

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日本100名城・山形城

日本100名城+続日本100名城+歴史資料館や博物館(国宝の土偶『縄文の女神))めぐりの第2弾。2泊3日の旅。上山城→山形城→山形県立博物館(国宝・縄文の女神)→多賀城→青葉城(仙台城)→白石城を巡る。

 

山形城は日本で5番目に大きく、東北一の面積を誇る。現在の市街地は三の丸にあたる。その大きさに圧倒された。今の霞が城公園は本丸と二の丸で、その回りは内堀で、三の丸の外側にも外堀がめぐらされいたようだ。

現在の芋煮会で全国的に有名になった、馬見ヶ崎川は、当時の川は市街地(山形駅)近くを流れていたのを今の位置に移したようだ。当時の土木工事のスキルにも圧倒された。

 

以下はウィキペディアから一部転載

山形城は、山形市霞城町にあった別名は霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。国の史跡に指定され、日本100名城に選定されている。

 

おおよその城郭構造の基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたもの。江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。現在は、武家屋敷群のあった三の丸が市街地化しているが、本丸、二の丸跡が霞城公園として残されている。

 

建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する

 

山形城は、本丸(2.83ヘクタール)・二ノ丸(27.99ヘクタール)・三ノ丸(234.86ヘクタール)を三重の堀と土塁で囲まれた輪郭式の平城で、東北では最大です。外郭である三ノ丸は、現存する日本最大の天守がある姫路城の外郭(約233ヘクタール)や内曲輪(約23ヘクタール)よりもそれぞれ広くなっております。

 

石垣には馬見ヶ崎川で採掘された玉石(安山岩)を割った石材を用い、割り面を前面に利用しています。本丸は御殿のみで天守はありませんでしたが、二ノ丸には江戸時代前期まで三階櫓がありました。今も残る二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上氏改易後の元和8年(1622)に城主となった鳥居忠政やその後の保科正之により改修されたと伝えられています。

 

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海洋放出止めれば電気代を下げられる

以下本日、西村経産相大臣に以下ツイートした。
★西村経産相大臣
電気・ガス料金の高騰対策については、標準的な家庭平均で毎月1850円分の支援を10月分から12月分まで継続し、合計約5000億円分を支援します。
燃料油への支援を含めると、エネルギー価格高騰対策に9月分から12月分まで総計約2兆円の支援を行う予定です。

★選挙対策のパフォーマンス。すべて血税。原発止めれば電気料金安くできるし、汚染水海洋放射止めたら、風評対策費用等の約4000億円以上も浮く。原発事故で数百兆の国富を失い、日本を破綻に追い込んでいるのは自民党政権!デタラメ政治を止めろ!失われた30年を返せ!国益損なう海洋放出止めろ!

★西村経産相大臣
現在検討中の経済対策の中で、今後のエネルギー価格の動向を見極めながら、その後の支援策について、対応を考えていきます。 twitter.com/rockya1984/sta…



★海洋放出止めれば、30年間で税金投入約15兆円も浮く。更に中国と香港への海産物輸出が年間で約1000億円の損害。原発推進で更に無駄な血税がつぎ込まれる。原発止めれば電気代も下がり、原発推進へ投入される税金は子供や貧困家庭に回せる。日本や貧困家庭を破綻に追い込んでいるのは自民党政権。



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70歳までは取るに足らない

 

あるメルマガの記事から、70歳までは取るに足らず90歳になって初めて奥義を究めると言った75歳になった北斎の言葉に元気をもらった。

この言葉は今後の人生にも活かせる言葉として、そして高齢者へのエールの言葉として記憶と記録の為、そして自らを鼓舞する為にも以下を掲載しておく。


    ーーー以下転載ーーー
 
北斎の最高傑作ともいえる「富嶽三十六景」をはじめとした浮世絵は、世界の美術界に多大な影響を与えました。ですが、じつは北斎自身は、自らが描いた絵に納得しておらず、満足したものではなかったようです。いったいどういうことでしょうか… 北斎は自身が75歳の時にこんな言葉を残しています。
 
「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳から数々の画図を描いてきた。とは言っても、70歳までに描いた物は本当に取るに足らない物だ。

73歳になって、少し動植物の骨格や生まれと造りを知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕が上達し、90歳には奥義を究め、100歳には本当に神妙の域に達するであろうか。

100歳を超えれば、私が描く一点はひとつの命を得たかのように生きたものになるだろう。このような私の言葉が世迷い言などではないことを、長寿の神には、ご覧いただきたく願いたいものだ
 

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