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原発と大津波 警告を葬った人々

 『原発と大津波 警告を葬った人々』
ジャーナリスト添田孝史著 岩波新書・740円を購入した。
又添田さんの講演も郡山で聴いた。

http://nimosaku.blog.so-net.ne.jp/2015-02-16


以下はたんぽぽ舎のメルマガの一部を転載
 

〈3・11原発震災〉直後からマスメディアに、「想定外」の大地震による大津波という言い方で、
「想定外」という言葉が、広く、かつ長く飛び交い続けた。
 一瞬にして街を呑み込んでしまう津波被害、放射能の空へ地上へ海への終りなき垂れ
流しの進展という、本当に恐るべき事態の現出。テレビ報道を媒介に、全国の日本列島
住民が、その状況を共有した。

その状況下、「国策」として原発推進政策を加速した、歴代の自民党政権(その政策の
延長線上に成立している民主党政権)と、東京電力を中心とした民間電力資本、
その資本の金に目がくらみ原発は〈絶対安全〉の神話を再生産し続けたマスコミと、
それに加担した原発御用知識人たち。
彼等はこぞって、自分たちの責任を回避するために、この「想定外」という言葉を乱用した。

それは、原発安全神話(デマゴギー)に責任ある団体・個人が、自分たちには責任の
取りようのない、人間の予想を超えた自然災害であると強弁し、責任を取らなくて当然と、
信じられない「無責任」を自己正当化するために、乱用された言葉であった。
すなわちそれは、人々にとんでもない〈無責任〉を実感させなくさせるための、決定的な
マジック・ワードだったのだ。

私たちは、原理的に考えて、「想定」すべき事態を「想定」の「外」に勝手に放り出し、
「想定」は不可能であったとする論理を、おかしいと考えざるを得なかった。
その「想定」の線引き自体に妥当性がなかったことを、何故問題にしないのか、
その無責任さに、怒りを持たざるを得なかったのだ。

ところが、このジャーナリスト添田孝史のレポートを読んでみると、そうした怒りの持ち方は、
原発を推進してきた人々に対する、私たちの過大評価の産物に過ぎないという、より悲しい
事実に直面することになる。

そこには、こうある。
「福島第一原発に大きな津波が来る可能性が高いと専門家が指摘していることや、想定を
超えた津波は、すぐ炉心損傷を引き起こすことを2002年までに東電は把握していた。
それにもかかわらず対策には動かなかった」。

「津波については、新たな規制に動かなければならないタイミングが、遅くとも2000年から
2002年にかけてあったように思われる。そのころ以下に挙げる2つの課題があったが、
規制当局はその責任を果たしていない。

第1は、エネ庁は電気事業連合会に対し1997年ごろ、想定を超える津波への対策を検討
するよう要請していたが、それを安全対策に結びつけないまま放置していたことだ。
エネ庁は、津波の数値予測に誤差があることを見込んで、想定の2倍の津波で原発が
どんな被害を受けるか、対策として何が考えられるか示すように要請し、電事連は2000年
初め、その報告書をまとめた。
それによると、福島第一原発は、原発中もっとも津波に対する安全余裕が少ないことが
明らかになっていた。

第2は、2002年2月にされた土木学会手法を基準として用いても良いかどうかを精査
しなかったことだ。
土木学会手法には大きな問題が四つあり、原発の安全を担保するものではなかった。
規制側(国・保安院)の「想定内」で、実は福島事故は起きているのだ。電力会社・国・
規制組織の「不作為」こそが、本当はあの事故をもたらしたのである。この事実に即した
具体的なレポートは、明快に、それを示している。

今、政府・自治体・原子力規制委員会が組んだ、川内原発再稼働プロセスにも、巨額の
原発マネーに目がくらんだ人々の福島事故に至る「不作為」がそのまま再現している。
懲りない〈原子力ムラ〉の論理に正面から対決するために、必読の一冊である。


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