小浜の紋付祭り
コロナ禍で一時中断・あるいは縮小されていた小浜の紋付祭りが通常通り開催された。但し最終日(後祭り)は中止された。本祭りの午後(神輿が塩松神社に上がってしまっていた(残念!)に行ってみた。
年々人口減少、少子化で太鼓をたたく子供たちが少なくなってきたので、10年前ぐらいから女の子も太鼓や笛を吹いているように変化してきた。
伝統を繋ぐのも大変な努力と労力、そして知恵が必要だ。
伝統を繋ぐのも大変な努力と労力、そして知恵が必要だ。
以下はHPから転載
塩松神社は、天喜3年(1055年)源頼義が安倍頼時父子を追討のおり、家臣の伴次郎助兼が信仰していた宇都宮慈現明神(うつのみやじげんみょうじん)を勧請したものと言われています。
御神輿渡御(おみこしとぎょ)の始まりは江戸時代、塩松神社が二本松藩、丹羽公の支配下にあったとき天明の飢饉の村内の復興のために、村民が丹羽公にお金を献上して、御神輿渡御の許可を受け、その御神輿に供奉(ぐぶ)する形で太鼓台がそれについて回るようになったと伝えられています。そして、その形は200年以上たった今でも変わることなく受け継がれています。
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